めにみえないこと

また書くね

2月7日の日記

こんなに穏やかな日々があるだろうか、というくらい
おうちの中でしずかに暮らしている。

こうしていると、「何かしなくちゃ」みたいに
焦っていた時期って一体なんだったのか、と思ったりする。
そのときはそのときの精一杯だったんだけどね。

こう思えるのは「家」がちゃんと基盤になっているからだと思う。


実家に帰って長めに滞在するときに似てる。
朝ごはん作って、食べて、庭を眺めてコーヒーを飲んで、
昼ごはん作って、食べて、おやつを食べて、
本を読んで、ゆっくり話して、夜ごはん作って...

 

わたしの原風景はいつも「家族の風景」
これがあれば、どんなことでも大丈夫みたい。

2月6日の日記

一番好きな映画をはじめてスクリーンで観る、
大好きな小説を10年ぶりに読む、
みたいなことの贅沢さを思い知っている今日この頃。

 

時間が経つだけで宝物になることってあるんだなと知る。

 

作品はいつも変わらないでそこにあるのに、
時代や自分のこころの変化で違って見えたり
成長したことによって突然わかったりするのだ。

 

日日是好日」で黒木華ちゃんも言っていたけれど
そうやって時間をかけてわかっていくことも
人生においては往々にしてあるのだろうな。
(と、いうことをいつも言っているなあ、わたし)

 

技法や技術を知ったり
監督や演出の意図を読み解くのもいいんだけど、
どっちかって言うと作品を通して自分の心を知ることの方が
わたしにとっては重要だしおもしろくて。

 

これからも少しずつそんな贅沢を重ねていきたいな。

2月3日の日記

わたくし「バズるための文章術」みたいな本を見つけると大慌てで目を逸らしたりするのですが。人の心を惹きつける文章の書き方、知れるものなら知りたいけれど、それよりも「バズ」のことがずっと怖い。正確に言うと「バズが目的であること」か。イライラするとか嫌いとかを通り越して、そういうのがある世界のことを知らないでいたい、っていうか。

 

"強いことば"ってキャッチーだけど、いろんなことをすっ飛ばしすぎだと思う。情緒がない、情景が浮かばない、その単語を使ったことで画一的になってしまう。ペラッとした、記号になる。ハートをいっぱいつけながら、タイムラインに消えていく。

 

そういう"強いことば"でしか表現できない感情もあるから、一概に否定したいんじゃない。最短距離で概要を伝えるには最強なのかも。でも、自分のこころがなんで動いたのかくらい、自分のことばで話したい。そういうのが聞きたいなって思う。時間がかかってもよくて、まどろっこしくてもよくて、140字に収まらなくても、結局なんなのか、わからなくてもいいと思う。そういうのを聞きたいなって思う。

 

 

そんなこんなで、ちょっと久しぶりに「パンズ・ラビリンス」を観たんです。

 

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ファンタジーなお話かと思いきや、ってそういうギャップはあるし、
残酷な現実を突きつけられるようなラストはもちろん悲しかったけど、
じゃあそれだけ?ってわたしにはそんなんじゃなくて。

 

大尉ずっとムカつくし。なんか手のひらに目玉あるし。
でも、物語の世界に逃げるしかなかった、というよりは、
物語だけはいつも彼女の心を守っていたのだ、
どんな内戦も、権力も、暴力も、その領域は侵せないのだと
そんなファンタジーの力を思い知らされる。
物語に救われてきたわたしにとっては、
バッドエンドだなんて簡単に言えなくて。

 

友人が教えてくれた、とてもたいせつで大好きな映画です。

 

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2月2日の日記

"苦労していないから見た目だけ若いままで。ライブでMCになることも多くて、何もできないのに全部できる人みたいに頼られる。正直それがしんどかった。でも、芸人やめる根性もない。じゃあどうするかっていったら、頼られている自分に本当の自分を合わせるしかない。大人になるしかない"

nikkan-spa.jp

 

 

まあ、初めて見た瞬間からモグライダー芝さんのことがもう大好きなんですが、知れば知るほど好きになっていくわけで。ラジオやらインタビューやら色々見ているうちに、冒頭に引用したことばに出会う。

わたしも今、与えられた役割に、自分が足りてないって思うことがあるんだけど、ふさわしい自分になりたいなと思う。

2月1日の日記

わあ。なかなかブログを書けないまま、けっこうな時間が経ってしまった。これからは気軽に日記を書くことにする。今日は2月1日だから、ちょうどいい。

 

と、ここまで書いて「何書けばいいんだっけ」と手が止まってしまう。でも、今日は止めないぞ。何を書いたっていいはずなんだから。文字がキーボードの上をどんどんすべっていくような、そういう感覚が懐かしかったんだから。手を動かしていけば徐々に、あたまと心が動き出す。そうやって感覚を取り戻していきたいな。

 

昨日から濃厚接触者になってしまい、自分の部屋に布団を敷いて寝る。なんだかおばあちゃんちに泊まりにきたような感覚になる。乱暴にしきっぱなしにしてある布団もなぜだか愛おしい。あと10日くらいこの生活が続くのかな。熱が出ないといいけど。

凪のような日々でも

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なんだかずっと、心がおだやかだ。おだやかなのって悪いことじゃないはずだけど、「これでいいんだっけ?」みたいな気持ちにもなる不思議。だけど、すごく楽。無理していないし、イライラしないし、いつも笑ってる気がする。

 

良くも悪くも、「何かを主張したい」っていう感情がちょっと薄らいできてる感じもする。相手に「こう思われたい」という欲求から、相手に見える自分をコントロールしようとする、みたいなことをしなくなったのかな。それはいいことだと思う。

 

でもこないだ友達と話をしていたら、ほんとは話したいことっていっぱいあるんだなって。ほんとはいっぱい聞いてほしい、いっぱい聞かせてほしい、だけど、その一歩を踏み込まなくなっちゃったのかもしれないなあ。ひとの人生に関わっていかれない。誰かに関わられたらすごく嬉しいはずなのに。わたしは愛されている実感がないと、その人に突入していけない。人間関係オクテなのかな。それとも、ほんとうに仲良くなるときってのは、そんなこと気にせずに突入しちゃうものなのかな?30歳になったって、こんなことで悩んだりするよ。

 

中学校、高校のとき、親友と呼べる存在の子がいて、どちらもものすごい勢いで突入してきてくれた子だった気がする。突入っていうか、「あなたのことが好き!!」って全身で言ってくれるから、「わたしも好き!!」ってできた感じ。両思い。友情だって恋以上に難しくない?人間と両思いになるのってすごい嬉しいよね。

 

とかなんとか、今でも十分、大好きなひとたちがいるし、なんの不満もないのだけど。十分でしょ、穏やかすぎて、凪のような日々でも。