めにみえないこと

また書くね

おとなになんかなれやしない

コーヒーカップについたリップをみて、これは大人の人やお母さんのしるしなのに、と思った。

 

笑ってしまう、だってわたしはもう30歳なのに。

 

もう十分大人になったのに、結婚もしたのに、まだわたしは子どものままだな、と思う。誰かに甘えて生きることに慣れている。誰かが助けてくれることを信じて疑わない。

 

30年も甘えてきたのに、まだ甘え終わらない。

 

 

お母さんに甘えたいのかなあ、と思うことが時々ある。お母さんに甘え終わってなかったのかなあって。ちゃんと素直になってから、大人になってから、甘えてみたかったなあって、思わないこともない。後悔とは違うんだけど、大人になってからお母さんに甘えたことないから、甘えてみたいなって思うだけ。

 

一方で男の人に甘えたい自分がいることも認める。これは説明が難しいんだけど…

お父さんはずっと守ってくれてる、歳はとったけどやっぱり安心する。肝心なときは、お父さん、っていうのが昔からある。性別は関係ないと思いつつもやっぱり男性には安心感がある気がする。旦那さんもそう。いつも威張らないけど最終的にいろんなことを決めてくれるのは旦那さんだし、ものごとをちゃんと知っているし、どんなことを質問してもちゃんと答えてくれる。わたしみたいに感情ではしらないし、いつも安心する答えをくれる。それはそれは甘えてると思う。

 

それから、友だち。男の方の友達と女の子の友達で何かを分けてるつもりはないけど、やっぱり「安心の種類」が違う気がする。いつも何かと相談しちゃう大学からの友人、なんだかんだ長い付き合いのお兄さん、出会ったばかりで大好きになった人、みんなやさしい人ばかりだけど肝心なことをバシッと言ってくれる。わたしは心底安心する。女の子の友だちでも、そう。

 

でもそれを感じたときいつも、人に何かを言ってもらわないと、自信が持てないのか?って自分のことが嫌になることもある。

 

 

許されたい、愛されたい、認められたい。

 

全部わたしの中にある気持ち。こればっかりなのかもしれない、わたしは、ずっと。でもそれさえくれたら、わたし自分の役割をまっとうできる。

 

 

 

ブラックコーヒーを飲んでいてもおとなになんかなれやしない。カップのふちに赤色がついてもわたしは「お母さんのカップにつくやつだ、」って思ってしまう30歳なのだから。