めにみえないこと

また書くね

凪のような日々でも

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なんだかずっと、心がおだやかだ。おだやかなのって悪いことじゃないはずだけど、「これでいいんだっけ?」みたいな気持ちにもなる不思議。だけど、すごく楽。無理していないし、イライラしないし、いつも笑ってる気がする。

 

良くも悪くも、「何かを主張したい」っていう感情がちょっと薄らいできてる感じもする。相手に「こう思われたい」という欲求から、相手に見える自分をコントロールしようとする、みたいなことをしなくなったのかな。それはいいことだと思う。

 

でもこないだ友達と話をしていたら、ほんとは話したいことっていっぱいあるんだなって。ほんとはいっぱい聞いてほしい、いっぱい聞かせてほしい、だけど、その一歩を踏み込まなくなっちゃったのかもしれないなあ。ひとの人生に関わっていかれない。誰かに関わられたらすごく嬉しいはずなのに。わたしは愛されている実感がないと、その人に突入していけない。人間関係オクテなのかな。それとも、ほんとうに仲良くなるときってのは、そんなこと気にせずに突入しちゃうものなのかな?30歳になったって、こんなことで悩んだりするよ。

 

中学校、高校のとき、親友と呼べる存在の子がいて、どちらもものすごい勢いで突入してきてくれた子だった気がする。突入っていうか、「あなたのことが好き!!」って全身で言ってくれるから、「わたしも好き!!」ってできた感じ。両思い。友情だって恋以上に難しくない?人間と両思いになるのってすごい嬉しいよね。

 

とかなんとか、今でも十分、大好きなひとたちがいるし、なんの不満もないのだけど。十分でしょ、穏やかすぎて、凪のような日々でも。

輪郭

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今日はひさしぶりに、音楽を聴くことができた。

 

公園で今年初のアイスコーヒーを飲んで、ぼんやり音楽を聴いた。音楽を聴くとなんとなく「自分はこうありたかった」「自分はこういうものが好きだった」という思いがはっきりしていく気がする。自分の輪郭がはっきりしてくるような感覚。ああ、なんか生きている〜みたいな感じがする。なのになんで、音楽を聴かないんだろう。

 

 

 

下北沢駅はいつの間にか知らない駅みたいになっていた。再開発が始まってから何度も来てはいるんだけど。駅前の広場に出て目の前に広がる景色を見て、改めて実感する。馴染みの店に辿り着くまでの間はなんだかドギマギする。数ヶ月ごとに入れ替わる流行りの店を何軒も通り過ぎて、パン屋に入り、十数年食べ続けてるメニューを食べた。変わらないものも変わっていくものも、どっちもあるから街は成り立つんだよね。

 

14時から、舞台『スタートアップ』を観た。まだ公演中なので詳細は控えるけれど、これまでのことを思い出すことが増えた30代半ばのわたしにとってはなんだかタイミングが良くて。舞台ならではの試みも面白かった。何より、"目の前で、生身の人間が何かを表現している"というエネルギーにひさしぶりに触れて、嬉しかった。

 

外に出ると、夕方とは思えないくらい明るくて、気持ち良い風が吹いていた。気の向くままに散歩する。人混みを避けつつ公園に着き、アイスコーヒーとドーナツを購入。空いているベンチを探して歩くうちに左手が冷えてゆく。ぐるりと半周したところで、やっとベンチに座ってドーナツを食べた。

 

そこで、やっと音楽が聴けた。

 

数年前はこうやって歩いて、いつも音楽を聴いていたように思う。いろんなこと考えたり。なんで聴かなくなっちゃったのかな〜、なんとなく、心がゆれることを避けるようになってるのは気づいてる。鈍感になる。でも幸せだと感じる。だけど、こうして気ままに歩いて音楽を聴いて、そんな時間でしか豊かになりえない場所がある気がする。

 

そんなきっかけをくれた、舞台『スタートアップ』に感謝。自分の輪郭を感じながら、溶けていくアイスコーヒーの氷を眺めていた。

計画的早起きについて

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おうちにいる時間が長いこの生活の中で、意識していることがある。わたしはそれを「まいにちがスペシャゥ」と呼んでいる。(※参考  毎日がスペシャル/竹内まりや)日々の生活の中でちいさな楽しみを作り出し、それを思いきり楽しむこと。おうちの中にいても、「スペシャル」な毎日をおくれるのだ、という、しあわせの沸点が低いわたしの魔法。

 

そんな中、最近「計画的早起き」を実施してる。「計画的早起き」。それは、自分が起きる理由を自分で用意し、早く寝て、早く起き、まんまと有意義な1日のスタートを切ること。

 

ひとつめの"理由"は最近わが家に現れた「ニンテンドーSwitch」で「どうぶつの森」をやること。「今起きれば、1時間どうぶつの森にいける...」と二度寝することなくムクリと起きられる。

 

もうひとつの"理由"は、水曜日にある。わたしが久しぶりに全番組追いかけるくらいハマっているお笑いコンビ「かまいたち」の濱家さんが、ZIP!水曜レギュラーに選ばれたのだ。ZIP!の放送時間は5:50〜8:00。「見ないわけにいかないだろ!」と初回放送前日は気合を入れて早く眠り、不思議なもので5:45に「スゥッ」と目が覚めた。(ちょっと笑ってしまった)

 

正直にいうと、お笑い番組でもないし、あとでめぼしいシーンだけ見逃し配信で見るとか、最後だけ見るとかでも十分かなと思うんだけど。水曜日に早起きチューニングの日があるのが気に入っているし、外的要因のおかげで楽しく早起きできるのが、わたしの精神にとってすこぶる良い気がするのだ。濱家さんも頑張って起きていることだし...

 

こんな、他人からしたらくだらないかもしれない"理由"だけど、このおかげで目が覚めて、調子良く1日をスタートさせることができる。「計画的早起き」悪くない。しばらく続けていきま〜す。

 

ところで「毎日がスペシャル」の歌詞を改めて読みましたがすごくいいじゃないか。

 

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恥の多い生涯を送って来ました(でも、愛も多い)

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これからはブログを書いて生きていこう!と思ったのに
久しぶりの更新になってしまった。

 

最近の暮らしはというと。

 

在宅勤務も板について相変わらず「生活」が楽しい日々。なんか、毎日テレビ見て、旦那さんにテレビの話したりして、「何してんだろう?」と思ったりもするけど。

 

しかも、最近そこに「ゲーム」が加わって、旦那さんにゲームの話したりして。やっぱり「何してんだろう?」と思ったりもするけど。

 

でも、そういうことでいいのかもしれない、とも思う。鈍りたくはないけど、でも、そんななんてことない時間も大事にしたいなって思う。

歳を重ねるごとに、ほんとはカッコよくなりたいものだったけど、なぜかカッコつける理由がなくなっていく。

素直に、自分が健やかな方を選ぶと、なんだか昔は選ばなかったほうを選んでいる自分がいて、「あれ、なんか歳をとったのかな」なんて思ったりする。

 

有吉さんは言う。

「恥ずかしい何年間になるかもね。僕なんかもそうだけど、『朝早くから起きてジジイかよ』って(昔は)言ってたけど、自分が(朝型に)なるじゃない。マツコさんもそうじゃない。『なにジム行ってるの』とか」

 さらに、付け加えて言う。

「だから恥の多い人生になっていくよ、お互い。だけどそれは、成長だと」

 

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ほんと、そんな感じがする。きっとこれからますますそうなんだろう。でもめちゃ心地いい、今。

恥の多い人生になっていったとしても、おんなじくらい、いやそれ以上に、たぶん愛も多いはず。そう思いたいよね。

いっせ〜ので散歩しよ

なんか元気ない人が多いかもしれないし、それも仕方ないよねって気がして、自分もほんとは元気ないかもしれないし、とか、なんとか。

今したいことを考えてみる、みんなでおこたに入ってゴロゴロしたり、友達んちの子どもも一緒に鍋をつついたり、好きなパン屋さんに朝ごはん食べに行ったり(これはできそう)、たまにはみんなで飲みに行ったり、したいよね〜。

でも、家でできるたのしみにもたくさん出会ったから、それなりにたのしくやってるんだよ。でも、自粛期間を有意義に使っているアピールするのが、気分良くない人もいるんだって。自分の気持ちを保つために一生懸命暮らしてただけなので、ちょっとびっくりだけど、わからなくもない。

身近なひとが元気ないとき、何ができるだろう?会いに行けないとしたら?おすすめの本や映画なんかで補えるかなあ?

そうだ、こんどみんなでいっせ〜ので散歩しよ、ハッシュタグかなんか作ってさ、写真を送り合いながら散歩するの。同時多発的に、でもそれぞれの場所で。少しでも楽しくならないかな?そんなことじゃだめかな?たまには元気なくてもいいけど、でもできるだけ工夫してさ、少しでも元気で、いたいじゃんか。

「見立て」的生活

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アウトドア・チェアをソファがわりにして、なんでもかんでもサイドテーブルのかわりにして、休日の朝を楽しんでいます。仕事もここですることがある。足元には万年ヨガマット。これは、ふとした瞬間にすぐストレッチや運動ができるように敷きっぱなしにしている。そうだな、ここをアウトドア・ソファと呼ぼう。アウトドア・ソファの横には薄い水色の加湿器がある。すごく可愛い色。近くにあるアルミラックは、数年前に旦那さんと「捨てる捨てない論争」になって「処分したいなあ」と思ったこともあったけど、水色のカゴやケースを駆使して重要な収納スペースに変身した。アルミ×水色が可愛いし、一番上には別の家具を組み立てたときの木製の天板が置いてあるから、なんだか余計に可愛くなってる。

 

在宅勤務が思ったより長くなりそうだ。引っ越す計画まであと1年。どうせ長く家にいることになるなら、更新より早く引っ越しても良くない?と思ったりもしたけれど、今の家への愛着は増すばかり。少し家具を買い足して、部屋を改善していったら、「この暮らしをまだまだよくできる」と実感とやる気がわいてくる。もし、「やっぱり次も更新せず、この家に住みましょう!」と言われても、まだやりようがあるかもと思ってきた。この家が悪いんじゃなくて、わたしたちが暮らせてなかっただけなんだね、ごめんよ。「ドアが可愛い」「靴箱が笑っちゃうほど小さい」「脱衣スペースと住居スペースの間にある、天井の謎の隙間(神棚と呼んでいる)」がたいへん気に入って、「チャイムの音がファミマ」で入居を決めたこの家。可愛い。大好きな友人が「生活は愛」といつも言っていますが、そのとおりだなと思う。前よりも愛、持てているかなって思う。

 

先日買い足した「白いバケツ」。今この子をサイドテーブルにして朝のコーヒータイムを過ごしてる。スツールをテーブルにすることもある。茶道の「見立て」みたい。とか都合よく解釈している。なんでもいいじゃん、ってことではないけど、自分の生活をみつめて、自分たちにぴったりの「見立て」をするのはなんと豊かでたのしいことか。わたしの暮らしは、しばらくアウトドア・ソファでやっていくことになりそうだ。

 

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モラトリアムとカタルシス

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映画の説明とか感想で「モラトリアム」や「カタルシス」みたいな単語をつかってみたかった。憧れの単語。意味は理解した、いざ!と思っても、なんか不安になって意味を調べてしまう。そのたび、なんかわたしの感情とはちがう気がして、やめてしまう。

カタルシス

舞台の上の出来事(特に悲劇)を見ることによってひきおこされる情緒の経験が、日ごろ心の中に鬱積(うっせき)している同種の情緒を解放し、それにより快感を得ること。浄化。 

Oxford Languagesの定義

 
なんかわかるけどわかんない...
たぶん自分語に翻訳しないとしゃべれない。
あんまり頭がよくないことも起因していると思うけれど、
なんとなくしっくりくる表現を探したいんだろうな、とも思う。
 
だって同じ感情なんてこの世にひとつとしてあるわけがないし、
その感情をどう表現するかがたのしみなんじゃないかと思うから。
なんとなく、ひらがなでしゃべるのが好きだし
みんなの翻訳を聞いてみたいな。
 
だけど、やっぱり憧れる。いつか使いこなせる日がくるんかな。