めにみえないこと

また書くね

ココアの齢に「私をくいとめて」を観た

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「甘いけどけっして甘すぎない。ほろ苦いココアを、マグカップを手で包み込むようにして少しずつのみ、胸の不安を消してゆく……三十三歳」(私をくいとめて/綿矢りさ


原作ではみつ子は33歳。
その歳に劇場で、「私をくいとめて」を観た。今年の8月に小説を読んでいたのだが、いま、パラパラとページをめくりながら映画と重ね合わせている。久しぶりに感想など残してみようと思う。

 

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勝手にふるえてろ」のテンポと松岡茉優にやられてしまったわたしは
期待しながらテアトル新宿へ向かう。
綿矢りさはキャラメルポップコーンでしょ!」と
意味不明理論で、ひとりだけどポップコーンを買う。

 

まず印象に残っているのが、みつ子の部屋。単純に、可愛かった。ルールと秩序がある「ひとりで生きていけてる部屋」だと思った。ここが、みつ子の城なのね。
(公式サイトにインテリア情報が載ってたよ〜)
映画『私をくいとめて』|大ヒット上映中!

 

途中までは「のんちゃん可愛いなあスクリーンのアップに耐えうるとは何事か〜」とか思いながら楽しく観ていたんだけど。やっぱり言及しておきたい、胸がぎゅっとなった2つのシーン。

 

1つめは、奥多摩の温泉宿のお笑いライブ。
まさかここで「吉住」が出てくるとは...!このセンスとヒキの強さ、すごい。それだけで感嘆してしまった。そしてあのみつ子の葛藤。小説にはこう続く。

「苦しいよA。人間は赤の他人でもあれほど強烈な印象を残していくの。おかげで温泉で得たささやかな癒しが、こっぱみじんだよ。一人で外出しても、何の感情の波動も受けないくらい、平然としていたいよ」

 

ああ、わかるなあ。他人の言動にショックを受けたり怒りを覚えたりして「自分はおかしいのだろうか」とある種の生きづらさみたいなものを抱えて家に帰ることがたびたびある。言いたいのに言えなかったことを反芻して、言えなかった自分を攻め続けることが、たびたびある。

 

それから、みつ子がイタリアで所在なさげにしているシーン。たぶんね、私もそうなってしまう...皐月が素直に泣いてくれたのが救いだった。

バスルームのドアを閉めて、みつ子は思う。

 

 「ほんの一瞬の幸せじゃなく、小さくてもずっと感じていられる確かな幸せを探し求めてきたはずなのに、私はまだ見つけていない。心配ごとがいつかすべてなくなる日なんて来るんだろうか」

 

こうやっていくつものドアで、自分の内側と外側を行き来してきた、みつ子。

 

だからこそ、最後沖縄旅行に向かうみつ子が泣きそうな顔でドアを閉めたとき...
Aと決別=融合するのはさみしくもあったけど
みつ子が自分の城を出て誰かと一緒にいようとする様は
なんかいまだに他人ごとと思えなくて、愛おしくなったな。
Aの声が聴こえなくなるのはいとうせいこうさんの「アタとキイロとミロリロリ」でアタが大人になってしまうときを思い出したりした。

 

それからカメラワークが面白かった。
俯瞰の視点や、誰の目線かわからない、やや低め・ずれた視点。
A目線=つまりはみつ子の視点?ずれたりぼやけたり。
ふとした日常のシーンでも、そのせいか妙にドキドキした。

 

 

綿矢りさの文章の切れ味と小気味いいテンポが
するりと映像になり脳に押し寄せてくる感じ、好き。
勝手にふるえてろ」も大好きだったんですが、もしまた綿矢さんの作品を実写化するなら、大九明子監督でお願いします!という気持ち。