窓ぎわのサチコ
いま、陽のあたる窓際の席で頬杖をついてぼんやりしていたら、学生のとき窓際の席が好きだったことを思い出してタイムスリップしかけた pic.twitter.com/AxVgHwLCd8
— サチコ (@cho_co7) 2018年1月18日
今日こんなツイートをしたんだけど、ここ数日間身にまとっている「どんより」が浄化されていくような時間だった。おひさまの威力、すごいね!
そして頬杖して窓の外をみたときに、ちょっとだけタイムスリップしたのだった。「席について、頬杖をついて、窓の外を見る」っていうセットがよかったのかも。窓際の席がとにかく好きだったことを思い出した。
すきなものとか、すきな瞬間を多く持っておきたい。なるべく細かく、わかっていたいなって思う。それが全員と共有できなくてもいいんだよね。
たとえばカフェに行くのはすきだけど「カフェ巡りが趣味」はなんか違うし、「旅行」はすきじゃないけど「知らない街に行ってすきなように過ごす」ことはすきだし、映画・小説・詩・音楽全般すきだけど突出しているのではなくじぶんの琴線にふれたものを大事にしていてそれを友人と語るのがすきだしもう
— サチコ (@cho_co7) 2018年1月13日
いつも自分のことをうまく説明できなくて悩んだりするんだけど、結局「そのままでいいじゃんね」に帰ってくる。「説明しがたすぎない?サチコ」っていうツイートに対して、友人が、「しかし、なんていうか、それがサチコだよね。」と言ってくれたりする。幸せじゃないか。
そしてこの、「ちゃんと違和感のないことばを使いたい」という想いに対して「ことばが身体を離れてしまわずに、バスケのドリブルみたいにダムダム手と地面にくっついて歩けなきゃ嘘だよね、という感じ」と表現してくださった方もいた。うれしかった。必要以上にこだわる必要はないけど、でもこのままでいようって思えた。
窓際の席に座ったサチコは、いつもぼんやり考えごとをしているか、落書きにものすごいエネルギーを費やしていた。たまには授業も聞いてたよ!板書はしてたし。だけどいつもそうやって何か考えていた気がする。そういう時間がないから、空を見上げる代わりに、インターネットを見てことばを書いているのかもしれない。それも悪くないよね、ねえ。窓際のサチコより。