めにみえないこと

また書くね

ちいさき宇宙を取り戻す

3段のカラーボックスが、「好き」でぎゅうぎゅうになっていくのを毎日毎日眺めていた。文庫本、マンガ、CD、雑貨、そこに入れていいのは本当に大好きなものだけだった。

あの頃は、そこがわたしの全てだった。

 

その中にあるものの話をする相手といえば姉くらいで、あとは頭の中で何度も何度も反芻して、心の中をそれでいっぱいにして、いつしかわたしの血となり肉となった。(のだ!)

 

問題はそこからで。田舎暮らしの女子中学生が、女子高生が、デタラメな順番やルールで出会った宝物たちを正しく履修し直すための、誰かのための行為がはじまった。それはわたしがいつでも誰かの目を気にしていたからなんだと思う。「わかりたい」と思ってはじめた行為が、誰かに何かを示すための行為になったらもうおしまいで、カラーボックスからはみ出すくらいの「好き」に囲まれているはずなのに、あの頃よりたくさんの「好き」がすぐ手に入るようになったのに、なんだかずっと息苦しくて心ががらんとしていた。

 

そんなとき、ぼんやりと3段のカラーボックスを思い出した。わー、忘れていてごめん、ちょっと間違えて大人ぶってたんだよ、とか言いながら、ホコリを払う。1冊1冊手にとって、うっとりして棚に戻すような、お気に入りの歌詞を何度もノートに書いて、頭の中で曲を再生してねむるような。そういう時間を思い出して、カラーボックスを抱きしめる。

 

たぶん大事なものってちょうどここに収まるくらいなんじゃないか。ここが真ん中だ。ちゃんと大事にしないと、わたしは揺れてしまう。

 

好きなもの、誰かに言わなくてもいい。ごく少数の、家族や友人に話せたらよりしあわせ。「好き」をはかったり、評価する必要はなくて。今日もぺたんと床に座り、カラーボックスを眺める。そんな日々がいい。