めにみえないこと

また書くね

やまびこに乗って

実家に向かう新幹線の中である。薄手のカーディガンを羽織っても汗ばまない快適な季節。なんだがひさしぶりのブログになってしまったけど、書いてない間のことをぽつぽつメモしてみよう。

 

父の新盆や相続関連の手続きもほぼ済んで、(姉に感謝)すっかり日常が戻ってきている。もともと一緒に住んでいなかったし、コロナ禍で数年帰省できていなかったので、日常で父の不在を感じることは案外少ない。ただ、ふとした瞬間に突然脳裏で再生される記憶に、むねがぎゅっとなり、ボロボロと突発的に涙が出たりする。そんなときの涙は蛇口を突然ひねってすぐ閉めるみたいな感じで、猛烈なスピードで消えていくのでなんだかおかしい。くしゃみみたいな感じ。

 

この出来事がわたしを変えたのは間違いない。何かが内側で起きてる気がする。わかんないけど、なんかそんな気がする。ゆっくりとそれを確かめる、みたいに暮らしている。

 

SNSをあんまりやらなくなって、YouTubeプレミアムというのを解約してみて、そのかわりによく本を読むようになった。そして10月からはノートになんでも書くようになった。たまには書いてたんだけど、さらに、なんでもかんでも書くようになった。

 

そうすると、ちいさな習慣が変わってきた。習慣が変わるのが積み重なると、生活が変わる。すると、人間が変わった気がしてくる。よく「習慣は人生を変える」なんて言いますが、「トイレ掃除しただけで大金持ちになってたまるかよ」みたいな反抗心を持っておりましたが、反省、「トイレ掃除して大金持ち(意訳)」というのは信じられます。だってそりゃ、人生、この瞬間の積み重ねでしかないからね。この「習慣の見直し」みたいなのが楽しいのでしばらくはやっていこうと思う。

 

わたしは雑念も多く、器用じゃないのにいろんなことに興味を持っては手を出し、目先のことを優先してしまうため、あとでごちゃごちゃになって絡まっているのである、いろんなものに。知っている、アホなのである!だけど大切にしたいものがあるのは本当で、興味があるのも本当なので、考えるときにノートに書くようにしてみたのだ。頭の中で処理できるほど、わたしの頭はいい施設じゃないので、ノートにアウトプットしないとあやしい。そして、「何が足りないか」わかったら、足りないものについて勉強してみようと思うようになった。とにかくその項目について本を一冊読んでみたりとか。そんなことを繰り返しているのが楽しいのである。今更感はある。

 

姉が、未来の話をするのは、同じ方向を向いているときがいいと言っていた。ダイニングテーブルで向き合っているときより、車に乗っているときのほうが、父と治療方針について建設的な話ができたのだ。すごくわかる気がする。わたしはいま新幹線に乗っている。すごいスピードで前に進んでいる。そして、未来のことを考える。