めにみえないこと

また書くね

おやすみ

おはよう、とかただいま、とか「パパ、コーヒー淹れたよ」とか、みんなで話しながら暮らしている。四十九日までは家に祭壇があるので、たくさんのお花に囲まれて写真も飾ってあって、なんだかわたしたちはなかなかその部屋の電気を消せずにいる。夜、おやすみ、と声をかけてようやく電気を消す。父が眠っていた部屋を通るとき不思議な気持ちになる。「そうか、もう君はいないのか」ということばを思い出す。母のときもそうだった。「あれ、いないんだっけ。なんでだっけー…」という具合に。だけど今回すこし違うのは、父が日頃から「人間は肉体だけの存在ではない」ということを話していたからだ。たくさんの絵手紙の中から「私は身体ではない」と書かれた1枚を見つけ、そのことばに大層救われている。父の身体はなくなったけれど、父がいなくなったわけではないと思えるからだ。父と母がいっしょにいるであろうこと。「私は身体ではない」と父が言っていること。そのふたつがこころを支えてくれる。きっとかなしみはこれからも不意に襲ってくるだろう、だけど生きていくほかないから。今日も寝よう。パパ、おやすみ。また明日ね。