家族になるということ
家族を失うことは何よりもつらい。そのことと向き合えたのは、家族の存在が大きかった。同じ悲しみを持つ者として、そしてこれまで通り、大切な家族として。でも不自然に空いた穴に気付かないでいることは難しかった。母の偉大さを思い知った。
次にわたしを救ったのは、友人たちだった。クリスマスにとある料理を作ろうとしたが、途中で手順に迷ってしまう。いつもならネットで調べるのに、なぜだか途方に暮れてしまった。わたしはこれから、わからないことに出会ったとき、いったい誰に聞いたらいいのだ、と。母に聞きたかった。もっと聞きたいことがあった。寂しさがこみ上げた。キッチンでひとり鍋の前で立ち尽くした。
料理を学んでいる友達の顔が浮かんだ。電話をすると2コールで彼女の明るい声が聞こえる。快くレシピを教えてくれた。そうか、友達に聞けばいいんだ、わたしには友達がいる、だから大丈夫だ、と。
そんなふうに、いつも誰かに助けられながら過ごしてきた。
先月、5年一緒にいた恋人と入籍した。これまでもそばにいたのだけれど、家族になるということがこんなにも心強いものなのか、と驚いている。1LDKの新居、いただきもののダイニングテーブル。帰ってくると電気がついていて、他愛もない話をしてから眠る。これは紛れもなくわたしや彼がそれぞれ育ってきた「家庭」のはじまりであり、これから時間をかけて育てていくものなんだろう。
そうか、家族を失ってしまうこともあるけれど、増えていくこともある。そんな当たり前の事実に、そのあたたかさに、わたしは完全に救われている。
父に恋人の存在を明かしたとき、嬉しそうな顔でこう話してくれた。「一緒にがんばれるパートナーがいるっていうことは、本当に、力をもらえるものなんだ。一緒にがんばればいいんだよ。夢に向かって一緒にがんばればいいんだよ。」
わたしが生まれたとき、父と母は「父と母」でしかなかった。5人家族、3人姉妹の末っ子として、すでにあたたかい幸せなこの世に登場したから、そんな幸せのなかに当たり前のようにいたから。その場所は父と母が出会って、家族になって、たいせつに築きあげた夢のような世界だったんだ。
家族を失うこともある。でも、増えていくこともある。幸せとか正解は、自分で決めればいいと思う。わたしは今、幸せです。
photo : yuka uesawa