めにみえないこと

また書くね

One more song 愛を聴かせて

芸能人の不倫報道ってどうでもいいと思ってたし、そのことについて何か発言するのも避けようと思ってた、でも今回の小室さんの件は気になって仕方がない。息が苦しい。何を隠そうわたしもれっきとした小室ファミリーなのである。(聴く方の)

 

「不倫報道」に心底飽き飽きして「いい大人のすることなんだから当人同士の問題でしょ!」っていう気持ちはもちろんのこと、今回はそれだけでは済まない妙な気持ちが渦巻いている。

 

小室さんが大変な状況だから、「だから仕方ないじゃないか」という気持ちなのか?と自問する。「それって仕方ないのか?」「同情か?」とかもぼんやり考えながら。ていうか病気や介護のことに関しては明日は我が身、他人ごとじゃなくない?とか考えながら。そんなことより、もっと身勝手な想いがある。そっとここに書いていいかなあ。

 

安室ちゃん、朋ちゃんYUKI、そしてKEIKO。圧倒的な個性と歌唱力を持っている彼女たちにいつだって憧れていた。本当に大好きだった。その才能を引き出す「小室哲哉」という人の才能にも惚れていた。時代も変わっていったけれど、わたしにとってあの頃の音楽は全く色褪せていない。むしろ輝きが増していって、胸が苦しいくらい。それくらい、永遠で、でもそれが今じゃないことが切なくて。もうなんて言っていいかわからないくらい。

 

ネットニュースの中でちらりと見かけた「KEIKOは音楽に興味がなくなってしまった」という記述に息が詰まった。わかってるよ、「ずっと歌い続けてほしい」なんて勝手な願いだ。彼女も人間、小室哲哉も人間、彼らが心おだやかに、健やかにいきていければそれでいいって心から思うんだけど。ものすごく心を揺さぶる1文だった。そんな「女の子になってしまった」KEIKOのそばに小室さんがいるんだと思ったら勝手ながら涙が出てきた。めっちゃかっこいいハイトーンボイス、ほとんど悲鳴みたいなのに美しくて強くて。あんなに"歌っていた"KEIKOが。

 

誰がなんと言おうと彼が生んだ数々の音楽はもうずっと、輝いてそこにあり続けるし彼女たちは歌い続ける。わたしはずっとその音楽を聴いて「あの頃」を思い出したりいろんな気持ちになったりする、新しい気持ちにも出会うかもしれない。彼らから何かを奪う権利なんて誰にもないだろ。

 

 

One more song 愛を聴かせて
踊り疲れた 夢を癒して
もう少し誰かのせいにさせてね
頭の中を一人にさせないで
 
(中略)
 
どこかに泊まるのと 街をさまようのと
どっちが悪いなんて 誰が決めるの?
 
愛してくれてる あなたが決めるの?
 
 

 

 

 

 

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小室哲哉、globe20周年の“真実” 過去の葛藤と「FACES PLACES」の意味を初告白 モデルプレスインタビュー - モデルプレス

 

 

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窓ぎわのサチコ

 今日こんなツイートをしたんだけど、ここ数日間身にまとっている「どんより」が浄化されていくような時間だった。おひさまの威力、すごいね!

 

そして頬杖して窓の外をみたときに、ちょっとだけタイムスリップしたのだった。「席について、頬杖をついて、窓の外を見る」っていうセットがよかったのかも。窓際の席がとにかく好きだったことを思い出した。

 

すきなものとか、すきな瞬間を多く持っておきたい。なるべく細かく、わかっていたいなって思う。それが全員と共有できなくてもいいんだよね。

 

 

いつも自分のことをうまく説明できなくて悩んだりするんだけど、結局「そのままでいいじゃんね」に帰ってくる。「説明しがたすぎない?サチコ」っていうツイートに対して、友人が、「しかし、なんていうか、それがサチコだよね。」と言ってくれたりする。幸せじゃないか。

 

そしてこの、「ちゃんと違和感のないことばを使いたい」という想いに対して「ことばが身体を離れてしまわずに、バスケのドリブルみたいにダムダム手と地面にくっついて歩けなきゃ嘘だよね、という感じ」と表現してくださった方もいた。うれしかった。必要以上にこだわる必要はないけど、でもこのままでいようって思えた。

 

窓際の席に座ったサチコは、いつもぼんやり考えごとをしているか、落書きにものすごいエネルギーを費やしていた。たまには授業も聞いてたよ!板書はしてたし。だけどいつもそうやって何か考えていた気がする。そういう時間がないから、空を見上げる代わりに、インターネットを見てことばを書いているのかもしれない。それも悪くないよね、ねえ。窓際のサチコより。

勝手に生きる

ちょっとショックなことがあってからなんとなく小さな失敗のようなものが続いてしまい、久しぶりにネガティブモードが発動してる。

 

逃げたくて仕方がない!ほんとの気持ちなんてもう気づいてる、みたいな感じで、とにかくすっきりとしない。こんなとき、自分の曖昧さが嫌になる。

 

意味を求めたくない、そのまんまで生きたい、そう思ってるはずなのに次の瞬間には意味や評価を求めてしまったりするんだよねえ。

 

調子の悪いときのわたしはすこぶるだめだ。まぁ、そんな自分ともちょっと付き合ってあげようかなと思う。

 

勝手に生きて勝手にしあわせになるぞ〜。

わたしの証明

免許書をもっていないわたしは、身分証明が必要なたびに「健康保険証」と、「このなかからいずれかひとつ」を探さなくてはならない。

「このなかからいずれかひとつ」を持っておらず、作ろうとすると身分証明が必要になり、また「健康保険証」と「このなかからいずれかひとつ」を探すことになる。

星新一のSFみたい...とか思いながら、パスポート申請の書類を用意している。

 

「じぶんを証明するもの」ってなんだろう、と思う。わたしがわたしたる理由というのは、いくつもあって、それが堆積したのがわたしの人生であるのだと思うが、こんなとき、なんてことばは頼りないんだろう。

 

いまのわたしは、少し前のわたしのように、じぶんのことをことばで説明する自信がない。説明が必要かどうかは置いておいて。

 

 

先日又吉さんの「やぁ」、朗読会 と さよなら、絶景雑技団 を観てきた。いろんなことを考えたが、ただただ又吉直樹という人に感心し、興味を持ち、魅了されていくばかりだった。

 

又吉さんの、これまで通ってきた道のり全てがつながってステージの上で渦巻いている。ひとつになっている。

 

芸人とか作家とか、過去もいまもどの肩書きも状態もすべて彼であり、だけどすべて「芸」に落としていく姿はやっぱり芸人なんだと思ったし、ほかでもない又吉直樹という人間であり、そのすごさにやっぱり圧倒されてしまった。

 

そして彼はとことん「じぶん」やじぶんの感情と向き合っているのだと思う。それはどんな労力だろうか。しんどくないだろうか。わたしがしてこなかったことを、いやというほど彼はしているのかもしれない。

 

 

「このなかからいずれかひとつ」。

わたしの中身をテーブルの上に全部並べていずれかひとつを選ぶとしたら何を選ぶだろう。

 

 

近頃、じぶんの悪いクセと向き合う機会があった。ときどき親しい人にだけ見え隠れするものだから問題視されることが少なく、自分さえも上手にだませていたというのに。ついに明るみに出てしまい、そして思い出す。わたしはずっとこうだった。

 

そしてこのクセが、何か大事なものを失うほどに悪いものだということにようやく気づく。幼い頃から何も変わっていないことにも思い知らされる。

 

 

「このなかからいずれかひとつ」。

消したい過去というのはいくつかあって、でも消えないからせめて、ごめんなさいが言えるのならわたしはいつを選ぶだろう。

 

よかったことだけじゃなくて、後悔したこととか、忘れてしまいたいこととか、そういうのもわたしの道のりに堆積している。

 

嫌だと思う部分も「わたしのなかからいずれかひとつ」選ばれたものでありわたしがわたしである理由のひとつに他ならないことを認ねばならない。

7月のおわりに

好き勝手に文章を書くことが少なくなってなんかちょっと寂しかったりして、ひょんなことから昔のブログを読み返しその体温にドキドキしたりもした

 

140字に収めようとすると、読んでる人のことを考えると、なんだか書けることが限られてしまう

口調も決まってきてしまう

長い文章を書くときのリズムを忘れてしまうのはすごくもったいないなあと思ったんです

 

別の場所を作ることはずっと考えていて、noteがいいのかブログがいいのか、ブログなら何がいいのか、って迷っていたのですが、

なんだかんだ2009年から使っている    はてな で続けることにしました

 

読ませる文章を!と意気込むと、続かなくなるかカッコつけるかどちらかになりそうなので

ツイッター並みに気軽に、でもツイッターよりずっとすなおに、心のうちがわに近いあたりのことをすくいとってここで話せたらなって思います

 

mixi、ブログにはじまって、2009年くらいからtwitterをはじめて「ことばでつながる」人があらわれた

20代という大事な時期ほとんど、そういう人がそばにいてくれたように思います

 

最近よく、あの、いとおしい時間のことを思い出します  また自由に書けたらうれしいな

どうぞよろしくね

2017.

2017年が始まって1ヶ月が経ったらしい。

いつもは抱負を手帳やツイッタに書いたりして、決意新たに!な感じになるんだけど、今年はふんわりと始まったなぁ。肩の力が抜けてるといえばそうなんだけれど、この感覚の正体がまだよくわかっていない。

 

わたしは最近、自分の価値観とかあたりまえがぶっ壊れればいいのになぁと他人事のように思っているの。価値観を手放したいし、凝り固まった頭をぶん殴られたい、できなかったこともできるようになりたいし、逆にやりたくないことはやらないでいいようになりたい。

 

気にしていたことがどうでもよくなると、とても嬉しい。あ、またひとつ捨てられた。って。

 

猫かぶりをやめてマブダチと笑ってばかりいたいし、遠慮しないでわたしらしく、好きなひとに甘えながら生きていきたい。やさしくしたりやさしくされたり、美味しいものを食べて、人並み程度に悩みながら愉快に健やかに生きたい。旦那さんとおうちで質素なご飯を食べていつまでも笑っていたい。

 

別に、それでいいではないか。気づいてしまったから。

 

他人のためにできることなんてたかが知れてる。だから何かしてあげてる気になってしまったら、その場所にはいられないよ。

 

そんなふうにギリギリのバランスで成り立ってるのに、一緒に生きていこうとするひとがいるんだから、それだけで大丈夫だって思う。

 

獅子座のこと

石井ゆかりさんの2016年の占いをひさしぶりに読み返して、

ふるえている。

 

わたしが最近かんがえていたことと

リンクすることがいくつもあり

なんだかいつも、心がしゃきんとし

自分をつよく信じられるのです。

しっかりと、すすもう。

 

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好きか、嫌いか。
自分にとって必要かどうか。


2016年、獅子座の人は
いろいろなものを好きになると思います。
愛着を感じたり、
自分の世界に新たに取り入れようと試みることになるでしょう。
ですがその随所で、
「これを好きになって、入り込むべきなのか?」
「自分は本当に、これが好きなのか?」
「好きになったこれは、自分に合っていると言えるか?」
「自分はこれにふさわしいだろうか?」
など、様々な疑問を感じ、
深く考えることになるはずです。
そうした思いが生じるのは、
決して悪いことではありません。
「愛する」という光と、「好き嫌い」という別の光で
ひとつひとつをさまざまに照らしてみるうちに、
今現在の「自分」のかたちが、ふと
浮かび上がってくるだろうと思います。
そして、この時期に自分の心と対話しながら
徐々に「愛し始めた」ものたちは、
今後長いこと、貴方の一部として
貴方を守り支えてくれることになるだろうと思います。

 

 

2016年、獅子座の人は
何が欲しいのか、何が必要なのかを
ひたむきに考える場面に遭遇するだろうと思います。
それは、愛することや何かを好きになることとも
通底したテーマであるはずです。
2016年9月以降、獅子座の人の多くは、
ある種の勉強を始めると思います。
この勉強もまた、
「何が欲しいのか、何が必要なのか」
が解っていなければ
その方向性を、自分自身のために定めることができません。

この時期、獅子座の人は愛の世界から
あらゆるものを吸い上げることができます。

泉の妖精に
「貴方が落としたのは銀の斧ですか、金の斧ですか」
と聞かれて、
「どちらでもなく、鉄の斧です」
と答えた木こりは、
一般に、正直という「美徳」の象徴と捉えられます。
でも、もしかすると木こりは、
自分が欲しいものや必要なものがハッキリ解っていたからこそ
「鉄の斧です」
と答えたのではないでしょうか。
自分が欲しいものや必要なものがハッキリ解っていれば、
鉄の斧こそが、
その人にとって何よりも豊かな、
「金銀財宝」に匹敵する価値をもたらします。
2016年、獅子座の人の好悪や愛は、
「鉄の斧です」と答えることによって
三種類のすべての価値を手にするような、
そんな仕組みの物語として展開していくのかもしれません。

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今月のことも、ぴったりときます。

嬉しいくらい。

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10月は向上心や知的好奇心に火がつく季節です。
努力して結果を出すことが
とても魅力的に感じられるでしょう。
「自分を鍛えよう」という思いが強くなり、
ストイックにがんばれる時です。
一方、健康上の問題を抱えている人は、
ここで、根本的な解決のためのアクションを起こせるかもしれません。
特に、なかなかやめられない悪癖や
よくない生活習慣に悩んでいる人にとっては、
思い切ってそうした部分を「断ち切る」ことも出来そうです。

11月から12月は、人間関係に熱がこもります。
刺激的な出会いもあれば、
タフな交渉事も発生するかもしれません。
この時期は、貴方の自己主張がとてもクリアでパワーがあるので、
気持ちよく「戦える」だろうと思います。
年末は、
「好きなことを本当に実現するには、
どんな道を切りひらくべきか」
が、ぱっと見えてくるかもしれません。

 

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この時期貴方が愛しはじめたものは、
それが人であろうと、ものであろうと、
何らかの活動とか、場所とか、
あるいは、もっとべつなものであっても、
これから長い時間、飽きずにずっと愛し続けていけるものです。
時間をかけて掘り下げるにあたいする深みがあり、
学べば学ぶほど面白くなっていくものであるはずです。
簡単に解ることや、誰もが好きになれるようなものなら
ぱっとわかって、すぐに飽きてしまう
ということもあり得ます。
一方、時間をかけて身につけたものは
自分の一部となって、一生つきあっていけます。
長い時間をともにするものだからこそ、
その入り口で、たくさんの「問い」を発することが必要になる
ということなのかもしれません。
炭火に火をつけるときのように、
点火するのに時間がかかった後では
ずっと長いこと燃え続けてくれる、
ということなんだろうと思います。

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【引用はすべて下記から】

獅子座